サーファーが音楽を通して伝えるメッセージ
せめてもは海を壊す行為、やめさせたい。
今時のサーフミュージックは海や自然を題材にしたものが多い。
現実はサーフポイントは人間の経済活動と開発という名の元に破壊され続けている。
海の中のコンクリート・ブロックだけではなく河口に通じる山々では今だに森林伐採、
工場は汚染を流し人々はゴミを出し続ける。魚がダイオキシンで汚染されたら人類の明日はない。
サーファーはその最前線に生きている。だから命懸けのメッセージをPICOは送るために「LOOK」を完成させた。
近年サーフミュージックは売れている。ジャック・ジョンソンに始まりドノバン、ビューティフルガールズ、
ボー・ヤング、カスタムキングス、ジョン・バトラー・トリオ、ザビエル・ラッド・・・・
それはジャックの「ブラッシュファイアー」の発売2001年に起こり始めた。現にその当時、
ビューティフルガールズは存在せず母体はパンクバンドだった。2003年PICOがシドニーを
去りベース業を失いかけたクレイがビューティフルガールズに加入して名作「モーニングサン」は生まれた。
1997年サーフィン最大手サーフカンパニーが全面サポートしてPICOはデレク・ハインドのプロデュースで
世界デビュー。当時サーファーご用達サウンドといえばスケート、スノボーとクロスするパンクにグランジ全盛,
PICOはニール・ヤングの「オールドマン」のカバーや「カントリー・ストーン」といったアコースティックを
大きく取り入れた。サーファーがアコースティックを好む風潮はここが始まりだったと断定出来る。
理由はPICOのファーストCD「ゴーストフラワーズ」がどれほどサーファーの間で売れたか、
オーストラリアではデレク・ハインドが制作したサーフィンムービー「ストンプ」の
サウンドトラックCDとして扱われたが「タイタニック」を抜いて1位になった。
1作目の大ヒットでメジャーに移籍したPICOは2作目「ベイオブシン」発表。
CDセールスは好調であったがメジャーとの確執が顕著になり、プロモーション中止。
店頭からCDは消える一方、インディーチャート1位になる。音楽誌ローリングストーンから
読売新聞のようモーニング・ヘラルド紙に至るまで『ボイス・オブ・サーファー』の名称は幅広く知れ渡った。
2002年インディーズから「アトミックバタフライ」発表、全曲がサーフィン関係のCM,
TVシリーズ、フィルム等で使用。PICOはオーストラリアではサーファーズサウンドの代名詞となる。
2005年8月、デレク・ハインドのプロデュースでアルバム「LOOK」発売。レコーディングはアバロンで行なわれ
ミキシングはバイロンベイ、マスタリングはシドニー市内の302スタジオで行なわれた。ACO(オーストラリア・チェンバース・オーケストラ/国がサポートする唯一の室内交響楽団)の指揮者リチャードをはじめファースト
バイロインのサトゥ、アイリッシュ・バグパイプの名手ショーン・トムソン等が参加。ギターサウンド面では
プロサーファーのジェーン・フォクソンの兄カーンがPICOをアシスト、デレク自身もレコーディングに参加している。
デレク・ハンド 80年代前半現在のWCTに当たるIPSで年間総合8位になる。コンテスト引退後は
サーフィンジャーナリストとして活躍。リップカールをスポンサーにサーフフィルム「ストンプ」を制作。
アンドリュー・キッドマンの「リトマス」のカバーはジェフリーズベイをスキップフライの
フィッシュにのるデレクである。最近は「グラスラブ」やジャック・マッコイの「ブルーホライズン」にも
出演しているインテリな名サーファーである。
90年代前半のトム・カレンの音楽活動を手掛けたり、ケリー・スレーターがコンテストの合間に
シドニーのアバロンに滞在する際にマネージメントをしたり多彩にサーフィンをクリエートし続けている。
アンダーグラウンドながらオーストラリアのサーフィンだけではなくカリフォルニアへの影響力も強い。
現在はSurfer Magazine(USA),Tracks(AUS),Surfer's Pass(UK),Surfer's Journalに寄稿、
サーフボードの開発等で注目を集めている。
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